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2006/10/25

終わってる朝鮮通信使。。。

最近、朝鮮通信使の京都における横暴に関し、ネットで新ネタが、それも韓国人から投入されたみたいですね。タイトルは「鶏を盗んで、町人と喧嘩する朝鮮通信使」。お茶を吹きそうになりました。連中は昔も今もレベル変わらないということでしょうかね。

朝鮮通信使って、高校やら大学受験で習った内容とは どうやらかけ離れたものであった、すなわち江戸時代の庶民は通信使使節団を憧れの目ではなく単なる好奇の目で見ていたらしいということが、更に言えば通信使側の方が日本の繁栄ぶりにビビってたということがわかったのはネットの時代になってからなのですが、実際は鑑賞物では止まらず、迷惑をかけられたりしていたんですね。

それでも昔の朝鮮半島は凄かったと信じてしまってる(戦後教育に染まった?)方々は通信使が如何に素晴らしかったかを「再現」(捏造)しようと無意識のうちに努力してしまうようです。

最近、通信使との「交流」の歴史をベースにして日韓交流を深めようとする動きが色々なところで見られるようなのですが、こういう切り口は墓穴を掘るだけだからやめた方が良いと思うんですよね。一回始めちゃうとなかなか止められないし。やり続けても当事者が恥ずかしいだけだし。

それにしても本音がよく出ているとはいえ、京都を見たある通信使の感想は見過ごせないですね。
(引用開始)
「惜しんで余りあることは、この豊かな金城湯池が、倭人の所有するところとなり、帝だ天皇だと称し、子々孫々に伝えられていることである、この犬にも等しい輩を皆ことごとく掃討し、四百里六十州を朝鮮の国土とし、朝鮮王の徳をもって礼節の国にしたいものだ。 」
(引用終わり)

だいたい、自分達が支配したらたちどころに朝鮮と同じレベルに堕落すると言うことがわかってない。これで知識階級だというのですから、救いようがありません。あ、単に街は収奪の対象であって、マネジメントの対象とは思ってないということか・・・。恐るべし、朝鮮貴族。

やっぱり歴史の勉強と歴史認識って重要だなと改めて思っちゃいました。
小学生みたいな感想ですみません。。。

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コメント

九州の日さん、引き続きどうも。

今の韓国人のことを考えても方広寺に泊めるロジを組んだ方も結構すごいですねぇ。先人は立派です。それにしても対馬人的は朝鮮の人間には強く出れば絶対に折れるという彼らの民族性を承知しての談判だったんでしょうね。いや、凄い話です。

あら座さん、こんにちは。

絵の背景がよくわかりました。どうもありがとうございます。

確か明治以前の日本人は鶏とか猪はそれぞれ「かしわ」、「山鯨」とか別の名前を付けて宗教的タブーを回避していたと記憶しています。京都の人がどうだったかは知りませんが。でも日常的な肉食文化ではないんでしょうね。
一方、連中は犬、豚、人を日常的に食ってきて、なおかつ今でも海外旅行にキムチは欠かせないと言う人達(老いも若きも)ですから海外でも故郷と同じ食生活がしたくてしたくてたまらなかったんでしょうなぁ。迷惑な話です。
(朝鮮人の人肉食について)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%B0%91%E9%96%93%E7%99%82%E6%B3%95

投稿: 管理人 | 2006/10/31 11:24

韓国人が自ら持ち出してきた元ネタは、エンコリ歴史のところにあったようで、それによりますと、
日本側の食事は魚や貝などの類ばかりで、肉が全くないので満ち足りない朝鮮人が、卵のために飼っている鶏を見つけて盗み出したのが騒ぎの原因なんだそうです。
江戸時代の日本人は肉は殆ど食べなかったのは存じていても、まさか鶏すらもあまり食べていなかったとは。

投稿: あら座 | 2006/10/27 17:34

本日10/26毎日新聞のコラム憂楽帳に「江戸の外交力」というのがありました。朝鮮通信使が豊臣家ゆかりの京都・方広寺に宿泊したくないとゴネだしたとのこと。ちなみ、朝鮮出兵から120年後のお話とか。そこで、対馬藩の儒者が「獅子の如く吼え、刀を抜かんばかり」に強談判。シブシブ承諾させたとのこと。何百年前でも今とまったく同じ構図。笑ってしまいました。ちなみにかの地では九州まで韓国領だというお話は出ていませんか?

投稿: 九州の日 | 2006/10/26 16:13

Nagaさん、はじめまして。

朝鮮半島で文献が残っているだけでも凄いことなのですが、残っている物がこれですから精神レベルは低いですよね。
それに、蔑視とは言っても自信に裏打ちされた蔑視ではなく、いわば「スネオ的」他者依存型の蔑視ですから、される方としては笑いしか出ません。

蔑視って、する方とされる方の気持ちが通ってこそ成立するんじゃないかと思うんですよね。その意味で彼らの蔑視は空振りで、憐れみすら感じます。


名無しさま、こんにちは。

学校教育で強調しすぎ、全く仰るとおり!
これが日教組によって好き放題煽られているようにも思います。必要なのは冷静・冷徹な歴史教育ですよね。夢物語を語るのではなく、歴史を教訓として学ぶことです。(あ、総論では日教組と言ってること同じだ・・・。)

投稿: 管理人 | 2006/10/26 14:59

「朝鮮通信使」や「百済と日本との友好」など、日本と朝鮮半島との
交流を日本の学校教育で強調しすぎではないのか?
そのため、我々は朝鮮民族を理解していると錯覚しているのではいか?

東アジアの歴史を教えるときには、儒教(朱子学)の教義やその影響を
もっと教えることが、彼ら朝鮮民族を理解するのに役立つのでは?

朱子学の知識が少しでもあれば、彼らの反日も理解しやすくなると思うのだが。

投稿: | 2006/10/26 10:28

「この犬にも等しい輩を皆ことごとく掃討し・・・」という朝鮮通信の言葉から朝鮮人がいかに激しく他国の人間を蔑視しているか分かりますね。恐らく地球上で一番激しく民族、人種差別をする人たちでしょう。徳も礼節もなく自分達が犬以下なのにそれを自覚するどころか日本がそうだと思っているところが、憐れだしバカ丸出し。

投稿: Naga | 2006/10/26 04:01

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